1931年、世界は大恐慌の只中にありました。世界大恐慌は、工業化以降、最も深刻で長く続いた不景気でした。個人消費と投資は落ち込み、工業生産高は急激な下降をたどり、業績が悪化した会社が労働者を解雇したために失業率は上昇しました。
1931年にはCaterpillarも不景気の影響を受け、売上は前年と比べて700万ドル以上減少していました。しかし、Caterpillarがイノベーションへの情熱を失うことはありませんでした。1931年のイノベーションは今でもCaterpillarのビジネスに大きな影響を与えています。
製品のイノベーション
1931年、Caterpillarは業界初となる実用モータグレーダ、Auto Patrolの販売を開始しました。この象徴的な製品の開発は1928年まで遡ります。その年、CaterpillarはRussell Grader Manufacturing Companyを買収し、新たに道路機械事業部を創設してモータグレーダの開発を始めました。RussellのブレードグレーダはCaterpillarのトラクタと一緒に使用されることが多かったため、RussellとCaterpillarの経営陣は手を結び製品ラインを拡大する可能性を探ったのです。1931年4月、Caterpillarは業界初となる実用モータグレーダ、Auto Patrolの販売を開始しました。この製品は、別のトラクタの周りにグレーダのフレームをはめて使用するのではなく、単独の機械として設計されていたという点でモータパトロールと異なっていました。現在、Caterpillarはアーカンソー州ノースリトルロックの施設やイリノイ州ディケータの施設、Caterpillar Brasil Ltd.、Caterpillar Suzhou Company Ltd.、Shandong SEM Machinery Co., Ltd.など、世界中でモータグレーダを生産しています。
Caterpillar初のディーゼルエンジンモデルD9900の手作りの試作機には、「Old Betsy」(オールドベッツィー)というニックネームがついていました。研究開発は早くも1927年に始まっています。世界大恐慌の嵐が吹き荒れ、トラクタ会社の合併が進む中、C.L. Bestなど当時のCaterpillarのリーダーがディーゼルテクノロジへの投資を続けたのは、ディーゼルエンジンの方がガスエンジンよりも優れていると考えていたためでした。 ディーゼルは、ガスエンジンの約半分の燃料を消費するだけで低回転域で大きなトルクを生み出すことができました。1930年6月28日、CaterpillarのエンジニアArt Rosenの指揮の下、カリフォルニア州サンレアンドロでディーゼルエンジンが組み立てられました。この試作機には1A14というシリアル番号が与えられ、1931年後半に生産準備が整ったとみなされるまで、16か月以上試験に使用されました。
このエンジンはまずCaterpillarトラクタの動力源として使用され、最終的には動力ユニットに使用されました。1931年10月、Caterpillarはディーゼルトラクタの第1号モデル、Caterpillarディーゼル60トラクタの生産を開始しました。Caterpillarは、ディーゼルクローラが遅かれ早かれ普及すると実感していました。1930年代中頃には、Caterpillarはディーゼルエンジンの世界最大のメーカーになっており、ディーゼルテクノロジがビジネスを支える屋台骨になっていました。
ブランドのイノベーション
この歴史的イノベーションは1つの実験として始まり、このときは塗装と色に関するものでした。ミッションは製品に使用する統一色を決めることでした。試験が繰り返され、候補は濃い黄色、鮮やかな赤色、白色の3色に絞られました。探していたのは、昼夜を問わず遠く離れた場所からでも見え、しかも見ていて気持ちのよい色です。試験がすべて終わり、選ばれたのは黄色でした。Caterpillar製機械を見分けられるように、塗装のスペシャリストたちが特徴的なCaterpillarイエローを生み出しました。1931年12月7日、それまでのグレーの塗装に赤色のアクセントという塗装色は、ハイウェイイエローに黒色のアクセントに変更されました。現在、私たちはこの塗装色をCaterpillarイエローと呼んでいます。
1931年、Caterpillarは2つ目の商標デザインを導入しました。Caterpillarの商標は、1925年のCaterpillarブランドの設立以来進化してきました。最初の商標は、元々Caterpillarの前身企業の1つであるHolt Manufacturing Companyが使用していたものでした。愛着を込めて「ウェイビーロゴ」と呼ばれていた最初の商標は、幼虫が這っている様子に似せて会社名自体を湾曲させながら手書きしたものでした。2つ目の商標は赤色で、より現代風のデザインを取り入れていました。このデザインは長年の間に少しずつ変化しましたが、1957年までは基本的に同じものでした。
1931年は大きな進化があり、現在の弊社の基本理念が定まった年でした。それから85年が過ぎた今、Caterpillarは1931年と同じような課題に直面しており、そのことも弊社の生き残りと繁栄にとってイノベーションが重要な理由となっています。