ご存じのように1925年、Holt Manufacturing CompanyとC. L. Best Tractor Co.が合併し、Caterpillar Tractor Co.が設立されました。初期の製品ラインは、4年前に製造されたばかりのBest 30ブルドーザを含む5種類のトラクタで構成されていました。
1925年の合併の後は刺激的な5年間が待っていました。取締役会長に迎えたC.L. Bestの指揮の下、新会社として初の新製品となるモデル20ブルドーザを設計し、Russell Grader Manufacturing Companyを買収したのです。
1921 | C.L. BestがBest 30ブルドーザを製造。 |
1925 | Holt Manufacturing CompanyとC. L. Best Tractor Co.が合併し、Caterpillar Tractor Co.となる。 |
1925 | Caterpillarの最初の製品ラインは、5種類のトラクタで構成。 |
1925 | C.L. Bestを取締役会長に選出。 |
1927 | この新しい会社が設計した最初の新製品は、モデル20ブルドーザ。 |
1928 | Caterpillarは最初の企業買収を行い、Russell Grader Manufacturing Companyを取得。 |
1927年、新しく設立されたCaterpillar Tractor Co.が製造する初のブルドーザ、Caterpillar 20の開発チームを指揮したのがHarmon Eberhardでした。
Eberhardは、Holt Manufacturing Companyの若き製図技師からCaterpillarの取締役会長にまで上り詰めた人物です。彼が1916年に働き始めてから1966年に引退するまで、Caterpillarの製品ラインも数種類のトラクタから170種類以上の製品へと大きく拡大しました。Eberhardは生涯をCaterpillarで過ごし、引退のわずか数日前、勤続50年の表彰を受けたときが人生で一番誇りに思う瞬間だと語りました。
Caterpillar 20について聞かれたときには、こう答えました。「機械に採用された新しいテクノロジにより価格は上がりましたが、土木作業にかかるコストは増えませんでした。機械の生産性が非常に高かったからです。お客様は作業量が増えることで付加価値の恩恵を受け、運転可能時間が大きく増えたため、機械を作業に使用できる時間が大幅に増えました。」また、Caterpillar 20の開発時、「会社は研究とエンジニアリングの作業においてお客様第一を念頭に置いていました」とも述べました。これは、100年近く経った今でもCaterpillarが重視し続けているモットーの1つです。
Ella Chisholmが最初に勤めたのは、Caterpillarの前身となる企業の1つ、Holt Manufacturing Companyでした。1906年のことです。HoltとBestが合併してCaterpillarが誕生した1925年、カリフォルニア州サンレアンドロの本社で、彼女はC.L. Best会長とR.C. Force CEOの役員秘書になりました。当時のCaterpillarの出版物には、新しく生まれた会社が最初に雇った女性従業員として紹介されています。
また、彼女はCaterpillarで最も人気があり尊敬されていた人物の1人としても知られ、公私にわたり常に他人に親切にしようと努めました。元従業員の1人が彼女についてこう語ったことがあります。「Ellaは、会ったことがある人全員に好かれています。長年付き合ってきましたが彼女が他の人の悪口を言っているのを聞いたことがありません。」
Chisholmは会社の慈善活動にも積極的にかかわり、1938年にはSan Leandro All-Employees Clubを設立し、初代会長を1943年まで務めました。また、旧San Leandro Caterpillar Employees' Credit Unionの理事も務め、この組合の発展と拡大に多大な貢献をしました。
1951年12月には、会社で4人目となる勤続45年の表彰を受けました。退職の際には、Caterpillarの取締役で元会長のClaude Heacockから「Caterpillarのファーストレディー」という名誉称号を授与されました。
Caterpillarの歴史の証人とも言えるのがLes Apfelです。Apfelは1896年3月生まれで、1940年代までHoltとCaterpillarで製品の製造に携わっていました。1917年にHoltで働き始め、1日37セントの給料を受け取っていた話を彼自身の言葉でお聞きください。また彼は証言の中で、1925年のHoltとBestの合併と、新しく生まれたCaterpillarの組立てラインでの勤務の様子についても触れています。ApfelはCaterpillarがD2ブルドーザの1号機を製造したとき、そこにいました。
Harry Fairは、Caterpillarが誕生した1925年のHoltとBestの合併を主導したとされている人物です。1925年から1954年まで取締役として働き、最後の3年間はCaterpillarの取締役会長も務めました。
あまり知られていないのは、「Caterpillarが道路機械ビジネスで世界をリードする」というのが彼のビジョンだったことです。FairはCaterpillarとして初めての買収となる1928年のRussell Grader Manufacturing Companyの買収を指揮し、このビジョンを現実のものとしました。この買収により、Caterpillarは、今では伝説となっているモータグレーダを含め、けん引式および自走式道路機械の製品ラインナップ拡充が可能になりました。Fairの先見の明がなければ、世界中を縦横に走るハイウェイネットワークは実現していなかったかもしれません。